訪談 / 李威儀 Wei-I Lee
翻譯 / 施偉哲 Tetsu Shih
本文中文版出自《VOP攝影之聲》#6,2012年
──最初写真を撮りはじめたきっかけを教えてもらえませんか?
細倉 最初、私は写真を始めた時が高校生の時なんですけど、その時、日本でHiromixとか長島有里枝、あと蜷川実花とガーリーフォトムーブメントみたいなのがあって、それに影響されて割りと若い女の子がコンパクトカメラでスナップするっていうのがすごく流行ってたんですね。それをきっかけで写真を始めました。──KAZANシリーズはどのような考えから始めたのでしょうか?
細倉 最初は、こういうものを作ろうと思ってはじめたと言うよりはなんか割りと漠然と、なんとなくとってたんですけど、でもだんだんまとめていく間に徐々にコンセプトとか固まってきて最終的にこういう形になりました。
──KAZANの中ではポートレートだけではなく、鉱物、植物や枯れた枝とかもたくさん写ってますね。漠然と撮ってたんですって言いましたが、どういう考えでこういった素材を組み合わせましたか?
細倉 途中からこれの半分くらいできた時点からだいぶコンセプトも狭めていて、形はできていて最終的にある程度まとまった段階で出版が決まったんです。もともと一番最初にあったのはポートレートと自然の木とか岩とかあったんですけど、それだとちょっと弱いなと思って、もっと象徴的なイメージが欲しいなっていうので鉱物の写真をヌードのセットになるものとしておきました。鉱物のイメージは一番最後に象徴的なものに入れました。
──多くの場合、青春っていうテーマを表現するには、見れば分かるような直接な手段や鮮やかな比喩がよく使われますが、細倉さんにとってKAZANの中でもよく見られるような曖昧で象徴的なやり方はお気に入りですか?
細倉 青春みたいなそういう生活とかキッズライフみたいなものには興味がなくて、ポートレートは今この人は若くて綺麗だけど、でもすぐそれは失われる、失くなってしまうっていうのが悲しいなという気持ちでとってますから、あんまりこれが青春ですっていうような気持ちではとってないんです。
──ですから、KAZANの中で見られた「失ってゆく青春」っていうような感じは細倉さんが青春っていうことに対する思いですか?
細倉 なくなっていくんですけど、私が青春みたいなところに見てとってるって言うよりはもっと遠くからこういうものがあるよ、みたいな感じです。私はもうそこにはいないんです。遠いところから見てます。
──若者撮影者は青春をテーマにする例がよくあるんですが、それは身の回りの生活や人生のその段階にかかわるかもしれません。先程も言ったとおりにKAZANは「失ってゆく青春」っていうような主題が含まれてますが、それは細倉さん自身の命やその時点の考えにどんな関係がありますか?
細倉 もともとやっぱり昔のスターとかアイドルとか俳優さんとかの若いときの写真とか映画とかを見てると、もうその人は死んでるとか、おばあちゃんになっちゃったけど、でもその当時のものすごい綺麗な姿のものが残ってるわかじゃないんですか。まずそれがもともと記録で残ってるってのはすごいなっていうのがあって、やっぱり、これはもうないって分かってるから、こっちの写真とか映画とか映像がなんか素晴らしいという思いがあって、そういう気持ちです。
──撮影作業の流れについて教えてもらえませんか?
細倉 いつも友達だったり、友達の友達だったりとかをとってるんですけど、別にその人を私がよく知っていても、知らなくても、それはどっちでもよくて、撮影もそんなにじっくりするとかじゃなくて、本当には一時間くらいパシパシとって終わりみたいな感じなんで、表面を写しとるみたいな感じなんです。内面を知りたいとかそういうあんまり気持ちはなくて本当にそこにいる人を取る感じです。
──今年の8月に台湾の関渡美術館に一ヶ月滞在し、ポートレートのモデルを探してるそうなんですね。ちょっと気になるところがありますが、細倉さんが見たい、写真を撮りたいモデルはどんな人ですか?
細倉 私の好みもあるけど、不安定そうな感じのする若い男性です。
──そういえば、細倉さんの作品の中で確か男性のほうが割と多いですね。
細倉 そうですね。とって楽しいから。若者はすぐ変わっちゃうから。体もだし、考え方もだし、不安定であんまりしっかりしてないから、すぐ私が写真をとった状態じゃなくなっちゃうんです。やっぱり30才とかになるとあんまり変わんないんですよ、安定してるから。
──細倉さんの画像ではよくヌードの写真が見られますが、なぜそれに青春とつながるんですか?
細倉 最初から青春はそんなに意識してないんですけど。なんでヌードかというと、モデルのパーソナリティみたいなのをできるだけ出ないようにしたい。その人が服装とかで結構どういう人かっていうのが分かるから、例えばメッセージ書いてあったら分かるじゃないですか、その人はどういう人ですか、そういうのが嫌で、できるだけ本当にモデルのバックグランドが分からないけど、体だけの写真にしたかったわけです。
──細倉さんの作品の中で若い男の子や女の子がそれぞれのシーンで色々なポーズをするんですが、そういったシーンやポーズはどうやって構成したんですか?
細倉 ポーズは結構なんか難しくて、予めセッティングしてなかったんです。その現場の雰囲気によってモデルさんにこうやってくださいと調整したんです。だから自然な仕草ではないんです。意味はそんなにないんですけど、例えばとってる時はなくても、とった後の編集とか展示する時の組み合わせで出てきました。
──ですから、写真を二枚以上組み合わせ、それによって新しい意味を作り出すのは細倉さんの作品の大事なポイントですか?
細倉 結構大事です。一枚の絵と言うよりは組み合わせとか、しかもこれは絶対これとこれじゃないというよりは、今はこれとこれだけど、展示だとまたこれとこれになったりとかで、また新しい意味がその場その場で出来てきたりすることが大事です。写真の組み合わせは結構その場で変えます。
──人のポートレートやキレイな姿は撮影するのを通して過ぎ去った時代を写真に残ることができますが、違う写真の組み合わせによって、そういったイメージに飛ぶような躍動感が生み出させたんですね。
細倉 結構日本の編集の仕方って割りとこういう形が多いと思うんで、川内倫子とかも結構断片で、アラーキーとかも結構こういうイメージからイメージにすごい飛ぶような編集方法っていうのはわりと日本ではもともとあって、なんか慣れてるとそんなに違和感がないですけど、特に私のほうがより飛んでます。そこの編集に関しては見てる人がここからこういうふうに飛んでいくんだけど、その飛んでる間を自分で埋めるような連想ゲーム、アソシエイションゲームみたいな、そういうイメージで作ってます。
──細倉さんは気に入りの撮影者はいますか?誰かの作品に影響されてますか?
細倉 Jack Piersonが写真をはじめた頃から好きで影響を結構受けてます。
──これからKAZANシリーズは続いていくんですか?それとも、今は他の計画に取り組んでますか?
細倉 これはこれで一旦終わりなんですけど、でも似たようなテーマで色々変えながら続くと思います。
──同じく若者がメインですか?
細倉 そうですね。今のところはこういう感じですね。若いものが多いですね。
──ところで、作品の中で写った鉱物は細倉さんにとって特別な意味がありますか?
細倉 ポートレートの反対にあるものとして、ポートレートはすぐ変わっちゃうし、失くなってしまうんですけど、鉱物は変わらないものの象徴としてあるんですけど、写真になるとどっちもなんか同じだよ、みたいな感じです。
──KAZANについてよく聞かれた質問は何でしょうか?
細倉 なんでKAZANなんですか?(笑)
──それは何故ですか?
細倉 KAZANっていうのはボルケーノのことなんですけど、火山って活火山とか死火山とか休火山とかいろんな状態があって、マグマとか山の鉱物とかで命がない物質だけど、やっぱりイメージとして爆発したりとか、流れるマグマのイメージですごい生きてるようなイメージがあるんじゃないですか。だから「命のあるもの」と「命のないもの」の間にあるようなものの象徴としてKAZANと名付けたんです。
──なるほどね。
細倉 あと、スーザン・ソンタグのボルケーノラバーという小説があって、それも結構好きだったんでちょっと影響を受けてます。
Mayumi Hosokura(細倉真弓) was born in Kyoto in 1979. Since her graduation from the Nihon University of Art in 2005, she has participated in numerous group exhibitions in Japan, gaining a reputation for her delicate portrayal of nature and a unique perspective on the beauty and intimacy of youth. She published her photography book KAZAN in 2012.